岩手県大船渡市から、先ほど夜中の12時過ぎに帰ってきました。
岩手県雫石での一泊二日のライフプランセミナー終了後、日曜朝から15時ちかくまで、
この大震災で、自分がやるべきこと・自分にできることは何かを探すための短い旅でした。
盛岡行バスの最終便が15:00発だったため、現場にとどまれたのはわずか3時間前後でしたが、
ほんとうにたくさんのことを考えさせられました。
一回のブログですべてをレポートするのは無理ですので、
今日から何日かにわけて報告させていただきます。
大地震の発生から3か月以上たちましたが、
今の大船渡の被災現場は、下の写真でごらんのとおりまだ瓦礫の山です。
でも、その下の写真のように、道路はすっかりきれいになっていました。
それにしても、大地震発生から3カ月以上もたってやっとここまでということは、
地震発生当初は、どんなにすさまじい状態だったのか、想像を絶するものがあります。
【まったく音のない瓦礫の荒野】
きのうは、日曜日で雨のためか、下の写真のとおり、撤去作業はまったく行われておらず、
ごらんのとおりのだだっ広い被災現場には、私以外に誰一人いませんでした。
そして、時折通りかかる赤色灯をつけたパトカーと、何台かの小型自動車以外、
3時間近くの間、この広い被災現場の中で、最初から最後まで誰にも会うことはありませんでした。
私は当初、「現場はおそらく撤去作業の作業員の方やボランティアのみなさんであふれているのでは」
と思っていましたので、ちょっと意外な感じがしました。
雨の音と自分の足音以外何の音も聞こえない、まさに「音のない瓦礫の荒野」をひたすら歩き続けた
3時間。
大船渡の被災現場は、白と黒だけのモノクロ写真に、時々赤や青のカラーがチラッとまぎれこむという
とても不思議で異様な雰囲気の空間でした。
下の写真の上の方に横たわっているのは白い軽乗用車で、その手前にころがっているは洗濯機です。
一口に「瓦礫の撤去」と言いますが、
これだけの瓦礫を撤去するには、まだまだ多くの日数がかかることはまちがいないようです。
今日は雨のおかげで、ほこりよけとにおいよけのために持参した立体マスクは使わずにすみました。
明日は、瓦礫の間で一生懸命咲いている花の姿「瓦礫の中で咲く花たち」をご紹介します。